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文化の薫り、清流の郷。

<第3章 筑前の小京都・秋月>

工房夢細工の新たなスタート 〜 縁もゆかりもない秋月へ

私は昭和59年から本格的に草木染を始め、平成4年に現在の福岡県朝倉市秋月に「工房夢細工」を移し、日本の伝統的な手法による草木染工房として新たにスタートしました。
 神戸で生まれ育った私が、なぜ縁もゆかりもない秋月に移り住んだのかとよく聞かれます。その理由は、草木染に不可欠な自然が身近にあり、良質の水が豊富にある「田舎」であること、かつて城下町として栄えた「歴史と文化」の礎があること、「都会(福岡市)との接点」があること、秋月には私が求めていた3つの条件が揃っていたからです。  都会を離れ、草木染の理想の地を求めて日本各地を巡り、ようやく秋月にたどりついて工房が完成するまでに丸3年の月日を費やしました。

歴史と文化の礎 〜 城下町の佇まいと桜や紅葉の彩り

伝統文化の礎があるところは、子供が成長する過程において日本人としてのアイデンティティやプライドなどが形成されやすく、また、自分はここで生まれたという郷土意識が芽生え、胸を張って生きることができると思っています。
 ここ秋月は、鎌倉時代から戦国時代にかけて約800年間、豪族・秋月氏の繁栄によって築かれた城下町です。江戸時代には、福岡黒田藩の支藩として黒田家秋月藩が治め、文化・工芸に造詣が深い藩主の下で草木染をはじめ今では秋月名産となっている本葛や和紙等の製造が盛んになりました。
 今も城下には往時を偲ばせる通い門や武家屋敷跡などがその情緒を湛えていて「筑前の小古都」と呼ばれています。また、城跡の一角は福岡県を代表する桜と紅葉の名所であり秋月の代名詞ともなっています。そうした多くの人を惹きつけるパワーを持った土地であることも秋月を選んだ理由の一つです。

草木染に適した気候 〜 冴えた鮮やかな発色の秘密

秋月が紅葉の名所というのは、まさに草木染の理想の地でもあるということです。草木染には、昼間は太陽の強い光が射し、夜は底冷えするような寒暖の差が大きい土地が理想とされています。秋月の紅葉がとりわけ美しいのは、そうした内陸の気候の賜物だからです。
 また、秋月の冬はシンシンと底冷えがして、工房の中も足下のほうは零度、染液は熱湯ですから腰から上は蒸し風呂。熱湯で染めた布を引き上げて一気に零度のところに持ってくると、その温度差で色がキュンと締まり、冴えた鮮やかな色が染まるのです。それも工房夢細工の大きな特徴です。  
工房では「体験染め」を受付けていますので、それをご実感いただくことで草木染の奥深さ、魅力を感じていただけると思います。

古処山の麓に湧く水の郷 〜 3種類の水の使い分け

秋月の背後には標高860mの古処山が控えていて、町はその裾野に形成されています。町には昔から古処山を水源とする水路が今も縦横に巡っています。
 草木染には、いろんな色を染めるためにいろんな種類の水が必要で、とくに大量のアルカリ性の水が不可欠です。私が初めて秋月を訪れたとき、町を流れる野鳥川の川底が白いことに気づき調べてみると、石灰質の土壌から湧くph9位のアルカリ性の水だということがわかりました。
 さらに、川を挟んで一方は真砂土の山があり硬水が、他方は花崗岩のため軟水が得られることもわかりました。優しく染めたいときは軟水を、カキっとした鋭角的な染めには硬水を使い分けることができるのです。工房は町の一番上流の一角に設け、軟水と硬水は井戸を掘って確保し、現在は川の水と併せて3種類の水を使い分けています。  この秋月近隣では昔から「筑前茜染め」や「筑紫野の紫染め」などが盛んに行われていたことを後から知りましたが、まさに秋月は草木染に理想的な土地だったのです。

工房の広さと草木染のクォリティ 〜 スペースがクォリティを高める

私が田舎を選んだもう一つの理由は、都会よりも広い土地が得やすいということです。とくに伝統的な手法の草木染をするためには広いスペースが不可欠です。例えば、柿渋染などは1〜2ヶ月間太陽に当てることで色に深みが出てきますから、天日に干すスペース、雨が降ったらそのまま仕舞えるスペースが不可欠なのです。ところが、干すスペースがないところでは柿渋をあらかじめ染料化したもので染め、強アルカリで炊いて強制的に発色させるという手法で柿渋染と言っているところが少なくありません。しかし、それは本物の柿渋染とは呼べないでしょう。スペースがクォリティを高めるという人もいるくらい、工房の広さは草木染の要でもあるのです。

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