<第4章 一期一会の物語>
命ある色を染める 〜 草木染は一期一会の巡り合い
草木染は、染液の濃度、工房の外と中の温度差、染めの時間、そして染める布の動かし方等々が複雑に組み合わされますから、私と他の人とでは同じ染料で染めても色は全く違ってきます。また、原料となる植物や木は、今日と2週間後に伐ったものとでは色が違いますし、今年と来年でも違います。どんな色に染まるか、それは草木の声を訊いてみないとわかりません。
例えば、桜染め・・・私の工房では、花が咲く前の桜の小枝から数か月かけて染液をつくっていますが、その方法とは別に、よく行われているのがソメイヨシノや山桜の木の皮を原料にして染料を作る方法です。一般の方でもうまくいけば「5回に1回」くらいは桜のピンクが染まります。なぜかといえば、今ピンクに染まりたいという桜の木を見つけることが一般の方にはなかなか難しいからです。去年ピンクが染まった木だからといっても今年はそうならないことがほとんどですし、桜の木の皮を、いつ、どのようにして炊き出すのか、そして、それをすぐ染めるのか、次の日なのか、一週間後なのか・・・等々、それらが全部正しく揃わないとピンクは染まりません。だから「5回に1回くらい」と言っています。運よく染まっても、濃いピンクや黄色がかったピンク、淡いピンク等々、その時々の状況、条件によって染まる色は異なります。つまり同じ色には二度と出会うことがありません。いわば一期一会・・・それも草木染の魅力の一つと言えるでしょう。
“直感”で染める 〜 自然のリズムやパターンを掴む
初めて工房夢細工の染めを見た人の多くが、その澄んだ色の美しさと鮮やかさに驚いています。おそらく、他所の草木染は少しくすんだ色をしているからでしょう。いったいどんな染め方をしているのかとよく聞かれます。
もちろん秋月にはいい水があり、気候に恵まれ、工房として染めの環境が整っていて、長い経験のなかで培った技術も確かにあります。そうした条件が整った中で、私の染めの核心は何かというと、“直感”という言い方が一番、“正直”かもしれません。つまり・・・草木が染まりたがっている色を感じ取り、それをいつ染めたらいいのかその声を聞く・・・決して霊感や超能力の話ではありません。
例えばモミジ、昨日だったら黄色に染まったけれども今日は紫で明日は赤、そして次の日は茶色が染まる・・・という具合に、いつも自然の草木に触れて染めをしていると「今日はこうだな、これはこうだな」と草木自らがどんな色に染まりたいかという自然のリズムやパターンや息づかいがわかってくる、命あるものは持っているエネルギーの波動によって伝わってくるのです。後はそれに素直にしたがって染めていく・・・それが私の染めであり“直感”で染めるということです。
また、染めの技術や私のなかに流れるDNA、日本人として培われてきた美意識、自然が見せる森羅万象に抱く畏怖や敬意、時代を築く文化、それらが久しく時間をかけて私のなかで融合、醸成され、感性が磨かれてきたことも、私の“直感” を支えているのでしょう。
遠く万葉人が染めた色は今なお奥ゆかしく、その美しさを留めています。それは万葉人の直感が引き出した色です。草木染には、そうした時空を超えた職人の感性も宿っているのです。
草木染と化学染料(合成色素)の違い 〜 自然の草木染ではあり得ない色
本当の草木染は、あくまでも草木がもともと持っている色、あるいは本来の金属媒染によってできる色です。
一方、化学染料(合成色素)は「タール」という石油由来の成分からいろんな色をつくりだすので「タール系色素」ともいわれます。仮に、草木は9割以上、ほんの2%だけ化学染料を使った場合でも色の力価(色の量・ボリューム)で換算すると草木=1に対して化学染料=99に値します。化学染料は、ほんの耳かき一杯で驚くほど発色します。
また、化学染料(合成色素)を用いた手法で色を作る「カップリング」という技術で染めると、不思議なことに藍(タデアイ)から赤が染まり、もともと黄色に染まるクチナシからブルーが染まります。つまり自然の草木染手法ではあり得ない色が染まるのです。
化学染料で染めた色は、染めた瞬間はきれいですが、私はそれで染めた色を心から美しいとは感じません。「草木染の色は褪せませんか?」と、よく聞かれますが、私は「褪せます」と答えます。草木染は染めた瞬間が生まれたての色で、それを使う人と一緒に育っていくものです。それを、色が褪せたという人もいれば、ステキな色になったという人もいます。草木染は命があるから褪せていき、だから終わりもきます。
草木染は命ある草木の物語です。生きているからふれあう楽しさがあり、褪せていく色の味わいがあるのです。その変化も含めて楽しむ、愛でていく、それが草木染ならではの一つの魅力ではないでしょうか。
草木染の環境づくり 〜 草木がなろうとする色に導く
私が若い頃は、草木をねじ伏せてでもこの色に染めるんだと、いろんな技術を駆使して、これでどうだ、今度はどうだと挑むような気持ちで染めをやっていました。しかし、やっても、やっても思い通りの色には染まりません。染めよう、染めようとすればするほど本物の色はどこかに逃げていくのです。
中国に「孟母三遷」という諺があります。孟子の母が、子供の教育のために良い環境を求めて住まいを三度移したという故事に因んだものです。三度目にたどり着いたのが、お寺の前。「門前の小僧、教をおぼゆ」という諺があるように、子供の才能を伸ばすためには、何よりも環境が大事であるという教えです。
実は草木染もまったく同じなのです。草木がもともと持っている色が染まるように、私たちがまわりの環境を整えること、それが自然な染めにつながるということなのです。つまり、どう染めるかではなく、私自身が単に染めを行なう一つの道具として草木の横に立ち、草木自身がなろうとする色に導くお手伝いをさせていただく・・・という感覚でしょうか。だから、私自身が良い道具であるために日常生活のなかで感性を高めておくこと、また、自然の中で暮らし、こんな色になりたいと願う草木の声を聞き取ること、それが染匠として大事な仕事だと思っています。